最近よく聞く「アウトプット」 悩んでる人が多かったのでこういう風に捉えてみました^^
今晩は CHIHOです。
今回は、アウトプットということについて綴っていきたいと思います。
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12月に入ってから色んな出会いがあり
猛烈に加速した時間を過ごしている感じがしているのですが
その中で最近よく降ってくるキーワードがアウトプット。
しかも、このワードにはもれなく「悩む人」が一緒にいるので
人々を悩ますアウトプットってどうなんだろう。。。と考えていました。
先日、友達と話していたとき、彼女もまたアウトプットに悩む一人。
そして、この悩みに対面している人たちが口を揃えて言うのが
「ブログ書かなきゃ」
と言う言葉。
私が耳にするアウトプットと言う言葉には
- ~した方が良い
- ~すべき
- ~しなきゃいけない
という語尾が呪いのようについてくるのです。
私は、好きなことをすると決めた時から
「~すべき」「~しなきゃいけない」
など無意識に自分を苦しめてきた言葉とはさよならすることに決めました。
今の私はしたいことをしています。
そんな私は率直に「ブログを書かなきゃいけない」なんてことはしなくていい。
それは私の経験上、やった人を苦しめるものになると思ったからです。
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例えば実体験でいうと「お菓子を作る」アウトプット
パティシエだったときは
- パティシエとして雇われたんだから、決められたものを作らなきゃ
- 春になるから春のデセールを考えなきゃ
- 私はパティシエなんだから、デザートに関しては私がすべきだわ
と「責任」から「期待に応えないといけない」気持ちになり
その仕事量に体も心も追いつかず
次第に目がチカチカし出し、めまいや、頭痛を発症しました。
いくつもの脳外科に通いましたが
症状は治まることなく、軽減さえもしませんでした。
しばらくした後、入社から数か月の時点で退社すると決めた時は
誰も私を「もう辞めるのか」と責めませんでした。
先日アップルパイを作ったときは
- あ、母が切ったリンゴがあるから炊こう
- あ、冷凍パイの特売日いつだっけな、え、今日なの?買っておこう
- あ、今ご飯が炊けるまで6分あるから、それまですることないし時間つぶしにパイをオーブンに入れちゃおう
と、何も考えずにあるがままにパイを焼きました。
近所に住む友達にパイを届け、残りは家族で食べました。
「良い感じに焼けて嬉しいから」とブログにも書きました。
ここには「べき」も「しなきゃいけない」も存在しません。
そこには、パイを食べて「美味しい」と思ってる私と家族と
パイを受け取ってありがとうと言ってくれる友達と
ブログに星とuserをつけてくれる読者の方々がいました。
どちらも同じ「製菓」というアウトプット。
前者の私は周りの人たちが働き続けるのを止めるくらい辛かったですが
後者にはハッピーしかないのです。
「べき」を手放した今だから気づけました^^
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ブログと言うアウトプットをしている私は確かに愉しい日々を送ってます。
ただ、「書かなきゃ」と思っては書いてませんし
かつてコンサルタントから「とにかく書こう!」
そう教えられて「書かなきゃ」としてたあの時の私は
今ほどの充実感はなかったです。
これまた同じアウトプットを同じ私と言う人物が実践しているのに
内面には差が出ています。。。。。
そうか!!!
アウトプットはしたいことをすればいいってことなんだ!!!
と言う結論に私は行きつきました。
そこから実験してみました。
心から
「好きだ~」「ハッピーだ~」「やりたいぞ~」
って思うことをアウトプットすると
瞬時に反応があるし、さらに継続して反応があるし
「嬉しい」「あり難い」「幸せ」
を一緒に連れてきてくれるんです。
本当にそうなのか?
すぐに反応が来てるのか?
私の見解はこうです。
好きなことでアウトプットすると「やる」ことで完結するので
あとの結果とかどうでもよくなるんです。
やった時点で満足。
だから、「反応あるかな?」とか「大丈夫かな?」とか待つことがない。
待ってないので、翌日に反応があっても期待してなかった分
素直に「反応きたーーーー」と喜べるし、嬉しさしかない。
で、頭の中では
好きなことする➡完結して忘れてる➡反応来る➡早く感じる
となってるのかなと思ってます。
対して
「申し訳ないからしなきゃ」「礼儀としてするべき」「こうした方が良いよね」
とかつての習慣や身に着いた慣習から行動すると
反応もなく、当然継続してくることもない。。。。。
「やらなきゃ良かった」「寂しいな」
と言う感情が沸いてくるんです。
本当にそうなのか、こちらも考えてみます。
「申し訳ない」とか「礼儀として」とか
好きつまり自分発信で行動してないので
相手や環境に依存している分、その結果が気になります。
人として当たり前に行動してるんだから
相手も人として当たり前に行動するはず、
世間の常識でこうすべきなんだからこうなるはず、という期待をしてしまう。
すると、反応が気になって気になって「待ち」の態勢になります。
待ってると人って長~く感じますよね。
だから、例え反応が数分後でも「遅い」と感じむなしくなってしまう。。。
相手本位で動く➡結果を期待する➡無意識に待つ➡遅く感じる
反応がなければ、怒りや絶望に近い感情になると思います。
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ネット社会で、ブログなどのアウトプットはすごく身近で簡単にできるツールです。
「ブログを書きたい」という域で入ったならば愉しいので
多分「ブログでアウトプットしなよ」と勧めると思います。
ただ書きたかった人には「良い」アウトプット法だろうけれど
書きたいと思わない人には、自分を苦しめる材料になりかねない。。。。
なので、もしアウトプットをしたいけどと悩んでる人は
やりたいことをやりましょう
と私は伝えたいです。
簡単なことで良いんです。
この人のブログ、面白そうだから読みたいな。
あ、読んでる途中で、面白くなったから止めよう。
本屋に行きたいな、だから行こう。
あら、人多いし、読みたい本ないし、もう帰ろう。
読み出したけど、面白くないならすぐ止める。
本屋に行ったけど、それ以上に人がいっぱいですぐ帰る。
これなら誰にも迷惑は掛からずに、自分の負担もプレッシャーもない。
そういうのを繰り返していると
好きなことを見つけるセンサーが活発になって
もっと好きなことを見つけて実践する。
するとそこから「好きなことやって良かった~^^」ってご褒美がもらえます。
期待してないから、受け取ったものは「ご褒美」と感じるんです。
そうして好きなことが循環していく。
そういうことかなぁと実際に生きてて実感してます。
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私も好きなことって何だろう、やりたいことって何だろうと悩み
お菓子が好きだからパティシエの道に入り
旅行が好きだから添乗員になり
自分なりに好き発信で動いてきましたが
パティシエも、添乗員も、好きと言いながらバックボーンに
「社会人として、生きていくために、稼がなきゃならない」
「常識として、職に就いているべき年齢だよね」
と言う価値観を自分が自分に突き付けてました。
無意識で「べき」「なきゃ」がそこにいました。
結果、私は苦しみ、闇に入り、結果そこから逃げ出しました。
今は逃げ出して良かったと思ってます。
そんな分かりやすい、巷に見かける好きなことをしなくていいんです。
歌が好きだからミュージシャンを目指すとか
お菓子が好きだからパティシエを目指すとか
好きだから歌う
好きだからお菓子を作る
好きなことをちょこっとアウトプットすれば
好きが循環して思いもよらないところにたどり着けます。
私がそうなので、何も特別なことじゃない。
誰にでも出来ることだと。
一緒に日々を愉しみましょう^^
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